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1908年3月9日に誕生したサッカークラブ、インテル・ミラノ。その歴史を紹介します。

○○○ 1908年 クラブ創設

インテルの起源は、ライバルクラブであるACミランと同じ「ミラノ・クリケット・アンド・フットボール・クラブ」です。

1899年に創立されたこの「ミラノ・クリケット・アンド・フットボール・クラブ」は、1901年に始めてのスクデットを獲得。その後も1906年、1907年と連覇を達成します。
しかし、クラブ内で外国人選手の補強に関してチーム内で意見が分かれてしまい、結局1908年に外国人補強積極派がクラブから分離、独立した新たなチームを立ち上げます。

1908年3月9日、この時FCインテル・ミラノは誕生したのです。チーム名の「インテルナツィオナーレ」は、海外に門戸を開き、外国人選手も積極的にチームに加えていこうという姿勢から名付けられました。

創設からわずか2年後、1909-1910シーズンには始めてのスクデットを獲得。それからで、インテルは計18回のスクデットを獲得することになります。



○○○ 1910年代~1945年 ファシズム台頭の中で

1916年から、3シーズンに渡ってセリエAは第1次世界大戦のため中断します。 そして再開後の1919-1920シーズンに、インテルは2回目のスクデットを獲得しました。しかしファシズムの台頭の中で、 外国人選手も積極的に加えるインテルのクラブ方針は弾圧の対象となってしまいます。

1928年、USミラネーゼとの強制的な合併により、「インテル」を名乗ることができなくなり、チーム名は「ASアンブロシアーナ」になってしまいます。 またクラブカラーも青と黒の縦縞から白と赤の十字(ミラノ市の紋章です)に変更されます。
そんな中で、1929-1932シーズンに伝説のストライカー、ジュゼッペ・メアッツァらの活躍によりスクデットを獲得。 さらにファンの熱意により4年後の1932年には「インテル」の名が承認され、クラブ名は「アンブロシアーナ・インテル」となりました。 同時にクラブカラーも青と黒に戻っています。

インテルは1937-1938シーズン、1939-1940シーズンにもメアッツァらの活躍によりスクデットを獲得。しかし、第2次世界大戦の影響によってセリエAは再び中断することになるのでした。



○○○ 1945年~1950年代 戦後

第2次世界大戦もようやく終焉。敗戦の重苦しいムードを吹き飛ばすかのように人々はカルチョに熱狂します。 インテルも終戦を期にチーム名が「インテルナツィオナーレ」に戻ります。

このころはグランデ・トリノの時代でした。中断前の1942-1943シーズンから1947-1948シーズンまで4連覇を達成しています。 そして1948-1949シーズンも終盤にさしかかり、トリノが5連覇を目前に控えたところで悲劇が起こります。
1949年5月の飛行機墜落事故(スペルガの悲劇)により、トリノはエースストライカーのヴァレンティノ・マッツォーラをはじめ メンバーのほとんどを悲しい形で失ってしまいました。結局トリノは残りの試合をユースチームで戦い5連覇を達成しましたが(相手チームも敬意を表してユースチームで挑んだ)、 サッカー界全体が深い悲しみに包まれました。

その後、カルチョはユベントス、ミラン、インテルの3チームが覇権を争う時代に突入します。 インテルは1952ー1953シーズンと1953-1954シーズンにセリエAを連覇。そして1955年には石油王と呼ばれたアンジェロ・モラッティがクラブ会長に就任します。



○○○ 1960年代 グランデ・インテルの時代

1960年代はまさにインテルの黄金期でした。

アンジェロ・モラッティ会長はチームの強化を進め、魔術師と呼ばれたエレニオ・エラーラ監督が1960年に就任。彼はグランデ・インテルと呼ばれる最強のチームを作り上げます。
1962-1963シーズンに8回目のスクデットを獲得。そして1963-1964シーズンはチャンピオンズカップ(チャンピオンズリーグの前進)、インターコンチネンタルカップを獲得。
翌1964-1965シーズンにはスクデット、チャンピオンズカップ、インターコンチネンタルカップの3冠を獲得し、まさに世界最強となりました。

当時のキャプテン、ジャチント・ファッケッティは不動のサイドバックとして活躍。中盤にはバルセロナからやってきたルイス・スアレス。そしてストライカーには前述のグランデ・トリノのメンバーだったヴァレンティノ・マッツォーラの息子のアレッサンドロ・マッツォーラがいました。
彼らグランデ・インテルは1965-1966シーズンにもスクデットを獲得。これがインテルにとって記念すべき10回目のスクデットとなり、ラ・ステッラ(エンブレムの上に付いている星です)がユニフォームに輝くことになったのです。



○○○ 1970年代~1980年代 黄金期の終焉

インテルは1970-1971シーズンに通算11回目のスクデットを獲得。
しかし、グランデ・インテルの選手達はチームを去っていき、1978年にはキャプテンであり象徴でもあったジャチント・ファッケッティが引退。 黄金期に幕が下ろされていきました。 1979-1980シーズンには久しぶりにスクデットを獲得。このときの主力であったガブリエレ・オレアリやアレッサンドロ・アルトベッリ、ジュゼッペ・ベルゴミらは1982年のワールドカップでのイタリア優勝にも貢献しています。
しかし、インテルは再びスクデットを獲得するまでに9シーズンを要します。

1988-1989年にジョバンニ・トラパットーニ監督に率いられたインテルはブレーメ、マテウス、クリンスマンらドイツトリオの活躍もあり、13回目のスクデットを獲得。しかし、ここから長い冬の時代が始まるのでした。



○○○ 1990年代~2006年 低迷期への突入

1989年に13回目のスクデットを獲得したインテルですが、これ以降に獲得したタイトルは、2006年まで 3回のUEFA CUPと1回のスーペルコッパのみでした。
1995年にはグランデ・インテルを築いたアンジェロ・モラッティ氏の息子であるマッシモ・モラッティ氏が会長に就任。 彼は父同様に、巨額の資金を惜しみなく投じてチームの強化を図りました。

しかし、父の時のように主要タイトルを獲得することはできませんでした。ブラジルの怪物ロナウドや、フランスの天才MFジョルカエフを擁して 1997-1998年のUEFA CUPを獲得。その後もイタリアの至宝ロベルト・バッジョや強力FWのクリスティアン・ビエリらを補強しましたが、 スクデットやチャンピオンズ・リーグには手が届かなかったのです。

インテルは2001-2002シーズンから、バレンシアで2年連続チャンピオンズリーグ準優勝と結果を残したエクトル・クーペル監督を招聘。
このシーズンは最終節で勝てばスクデットというまたとないチャンスでした。しかし、ラツィオに2-0から逆転され2-4で敗北。スクデットをユベントスに奪われるという悲劇的な幕切れとなってしまいました。

翌2002-2003シーズンにはロナウドがレアル・マドリーへ移籍してしまいます。この年もユベントスとのスクデット争いに敗れ、チャンピオンズリーグでは準決勝でミランに敗れるなど結局無冠に終わります。
そして2003-2004シーズンも低調な開幕となり、クーペル監督は途中で解任の憂き目に遭ってしまいます。このシーズンのインテルは優勝争いにも加われず、ついにはマッシモ・モラッティ会長が会長職から退きます。
そして、グランデ・インテルの象徴であったジャチント・ファッケッティ氏が会長に就任しました。



○○○ 2006年~2010年 カルチョ・スキャンダルとインテルの復権

2006年3月、イタリアのサッカー界が激震に見舞われます。

「カルチョ・スキャンダル」が発覚。ユベントスやミランら有力クラブが審判買収等の不正行為によりペナルティを受けます。
特にユベントスはセリエB降格、スクデット剥奪の極めて重い処分となり、2005-2006年3位のインテルに思わぬ形でスクデットが与えられることになりました。

2006-2007シーズンはユベントス不在のなか、勝って当然というプレッシャーを受けたインテル。
そんな中、2006年9月にかねてより闘病を続けていたファッケッティ会長が、この世を去ってしまいます。
突然の悲劇に見舞われたインテルですが、セリエAでは独走します。降格したユベントスから獲得したFWズラタン・イブラヒモビッチら新戦力も活躍し、15回目のスクデットを獲得。亡きファッケッティ前会長に捧げました。
キャプテンのハビエル・サネッティにとっては、在籍12年目で初めてピッチでスクデットを獲得したのです。

続く2007/2008シーズン、インテルは100周年を迎えました。
ロベルト・マンチーニ監督率いるインテルは、この年も安定した戦いでスクデット3連覇を達成。しかし、欧州の舞台ではベスト16で敗退。
モラッティ会長の念願でもあるグランデ・インテル以来の欧州制覇を達成するため、インテルはマンチーニ監督を解任し、ジョゼ・モウリーニョを招聘。勝負に打って出ます。

世界最高の監督との呼び声がある一方、歯に衣を着せぬ物言いで敵も多いモウリーニョ監督ですが、インテルを見事にまとめ上げます。
2008/2009シーズンにスクデット4連覇を達成すると、つづく2009/2010シーズンには、ついに欧州を制覇。グランデ・インテル以来となる、ヨーロッパチャンピオンに輝きました。
この年、インテルはスクデット5連覇を達成するとともに、コッパ・イタリアも獲得。あらゆるタイトルを獲得し、翌年にはクラブ世界一の称号も獲得しました。



○○○ そして現在

2010年にモウリーニョ氏が去ってからのインテルは、2011年のクラブW杯優勝を最後に、タイトルに恵まれていません。

成績不振から、わずか3シーズンで、ラファエル・ベニテス、レオナルド、ジャン・ピエロ・ガスペリーニ、クラウディオ・ラニエリ、アンドレア・ストラマッチオーニと 5名の監督に指揮を託すことになるなど、チーム作りが継続できずに、大きく後退してしまいます。

2014年にはモラッティ会長が一線を退き、クラブをエリック・トヒル新会長に譲渡しました。
そして2013/2014シーズンを最後にキャプテンでありレジェンドでもあるハビエル・サネッティが引退。
クラブは、2013/2014シーズンから指揮を執るワルテル・マッツァーリ監督、そして新キャプテンに指名されたアンドレア・ラノッキアら、新時代の戦力とともに、再び栄光を目指して新たなシーズンに臨みます。



近年のチームの歴史は、シーズンアーカイブスも参照してください。